4月下旬の日記。お通夜とか葬式とか社葬とか。

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4/30・イタリア映画祭2001
 いきなり電話が鳴って起きる。GYOさんからの「H”購入おめでとう」Pメールだった。返事はどうすればいいのか、取説をじっくり読んでやり方を学んだ後、自分が安心だフォンなので、発信できないことを思い出す(笑)。
 今日は久しぶりにIZAYOIさんとデート。行き先は「イタリア映画祭2001」という渋いセレクトだ。有楽町朝日ホールはマリオンの中にある。エスカレーターを上がっていくとマリオンの映画館はどこも満員。『トラフィック』のような日本では当たりにくそうな映画ですら長い行列ができている。目的の階にも巨大な行列ができており「イタリア映画好きな人そんなにいるのか?」と焦ったが、その列は『ザ・メキシカン』だった。
 実のところ、私の観に行った『聖アントニオと盗人たち』(2000)も盛況で、ほぼ満員だった。イタリア映画好きな人はホントに多かった。よれたスーツのファブリツィオ・ベンティヴォリオがなかなか渋くて見ごたえもありました。
 映画の前後に寄り道したのが、阪急でやっていたアランジ・アロンゾ展。前に「どこいつ展」で来たことがあるが、ここのギャラリーは年中何かしらこの手のキャラクター展をやっている気がする。
 キャラ自体は知っていてもあんまりこの手のものに興味がいかないため、ちゃんと見たことは無く、それなりに新鮮。なかでもカッパの写真は、もろ「どこいつ」のえにっきの元ネタと思われる(どこいつの方が、より洗練されている気はするが)。
 階の奥には有料の「アランジ・ムービー」の上映がやっていた。パーテーションの向こうから、若い女の子の「店長すみません!やめてください! ああっ!」という若い女性の悲鳴が聞こえ、いったいどんな映画なのか興味をそそられるが、IZAYOIさんがその映画のDVDを買うというので素通りする。
 結局、彼女は腕時計付きDVDのほか、彼女にキャラ的に近いと言われている「わるもの」が拳銃を撃ちまくっている柄のバッグを買って物欲を満たしていた。
 家に帰ってから早速借りてきたDVDを観る(彼女の家にはDVDプレイヤーが無い・爆)が、件の声のシーン「くま店長」(着ぐるみの熊が実写の店員にセクハラを働く)や新キャラ・タピーがまぁまぁだった以外は期待したほどのものではなかった。キャラはなかなかかわいいと思うのだが、映像作品に対するセンスやクオリティは自主映画。商業目的ではなく、制作者の趣味で作ったところは前向きで買うのだが……。
 その後、父猫さんからの25インチテレビキャッチセールス電話を断りつつ(うち既に使ってないテレビあるんで・笑)、先週末に届いたまま放置中だったインターネット通販で購入したエレクターを夜中に(しかも廊下で)組み立てるという迷惑な行動をとる。
 いきなり段ボール箱を開封してショック。2本一組のポール(脚)を4つ買ってしまった! 脚8本もいりません……。エレクターを買うのは3つ目なのに今更大きな誤算。置き場所にいきなり困りそうだ。
 エレクターを組み上げた後、8spotsとちょっと一息。昨日、自分のH”の着信音楽を録音したことを思い出し(今度の電話は着信用にPCM録音ができる)、8spotsに聴かせる。
 曲は『スペースバンパイア』のメインタイトル(ヘンリー・マンシーニ)。8spotsは興味を持ったものの、より良い選曲をとリクエストしてきた。その曲は、実は先週末「私が着メロ入れるならアレにしますね!」とY川さんに私自ら語ったのと同じ曲だったので、夫婦の絆を感じて大笑い。早速、曲を上書きする。
 で、その曲とは「レッドショルダー・マーチ」。元々版元不明の既存曲らしく、BGM集にも未収録だった曲なので手元に音源が無い。手元のビデオから録音したのでタイミングに苦労した(ちなみにPS版『青の騎士・ベルゼルガ物語』やLD『野望のルーツ』のデジタル・チャンネルなら聴けるらしいですね・笑)。
 いきなり演奏が鳴り出すとイヤな曲ナンバー1、と思っていたら、ネット検索でも着メロ楽譜とか載っていて同じことを考える人も当然いるものだと思った。

4/29・金無し
 川崎にてLaox&家具の井門・閉店セールへ。川崎・井門が創業85周年という話をきいて驚くが、そんな古くからある店が閉店というのは、横浜・日進の撤退同様、今の世の中がいかに不況であるかをまざまざと感じさせる気がする。
 とかなんとかいいながら、結局ここでは何も買わずその後ハシゴしたヨドバシで買い物。まずはwin版「広辞苑・第五版」をソフトメーカーの収入に貢献するため購入。それから発売が1週間延びたDVD「モンティパイソン・アンソロジー」のTシャツ付きBOXを受け取る。BOXには今後発売されるモンティ映画のDVDを入れるようになっているそうで、やはりこっちを予約しておいてよかったよかった。今回のDVDの収録映像は、国内初の内容ばかりで、大学時代にモンティパイソンはソロ活動なども含めすべて集めた私も興奮の内容。
 明日は久しぶりにIZAYOIさんとデートだというのに、つい夜更かし。

4/28・新機種導入
 8spotsと横浜のハンズへ。エアーポンプなどまとめて購入。沢ガニ育てもいよいよ本格的になってきた。幼稚園の頃よく近所のドブ川でベンケイガニを捕まえて水槽で飼っていたことを思い出す。あの頃は、雨の日の翌日見てみたら水槽が雨水で一杯になっていて溺死させたり、餌が足りなかったらしく同種による生存競争が行われたりと色々過失致死をやってしまったが、今回はあれから25年位たっているので少しは成長しているところを見せたいものだ。

 ハンズの帰りにふと思い立ちヨドバシへ。目当ての品を店員に尋ねてみると、発売日は今日なのだがもう最後の一つですよ、と言われて勢いで購入。安心だフォンの新型機です。
 3つの指定された電話番号にしか掛けられないPHSだが、月額料金は980円(私の場合は複数契約を結んでいるので月額780円)。今回2年ぶりの新型機はH’’になって、何とEメールも使える(宛先制限無し)のである。もはや怖いものなし(大袈裟)。これからもお子様電話ライフを満喫するのだ。

 さて、帰宅後早速エアーポンプを組み立て、買ってきた砂を敷く。買ってきたばかりの鉢はちょっと底が浅いので、結局再び食器洗い桶がすみかになった。エアーポンプを使うと、カニが泡のところに集まってくる。効果テキメンだ。8spotsと大喜び。
 これで一安心だね、と2日ぶりに落ち着くが、夜中に見たら、腕白坊主が1匹、脱走をはかっているところだった(桶の外壁に張り付いていた)。うーむ、まだまだ安心はできない。

4/27・カニに始まりカニに終わる
 朝、部屋の扉を開けると、誰もいないキッチンでかさかさと音がする。
 カニが夜の間にどうやってか再び鉢を抜け出し「かくれんぼ」していたのだ。慌てて床に這いつくばい、2匹の腕白坊主を捕獲。鉢に入れて、脱走者がまだいないか、3度くらい続けて数えて全員いることを確認。寝ている校長先生にもう一度数の確認をしておく。しかしこれが朝の日課になると、ちょっと嫌かも(笑)。
 会社で仕事をしていると、明日からゴールデンウィークであるということに気がつく。突然の訃報から一週間、あっという間に過ぎていき、すっかり忘れていた。休みを取る間もなく仕事が入っていく。ううう……。
 せめて今日は早くに帰ろうと思い、IZAYOIさんとモスに寄ろうねとか話していたのだが……そうなのだ、今日は毎週恒例、悪夢の金曜日。例によって取引先との対応作業に追われ、終わってみると3時半。家に着いたら4時。空が次第に明るくなってきた。陽がだんだん長くなってきたのだなぁ、とか感心している場合じゃない。
 家では8spotsが、寝ているどころかカニの世話におわれていた。

4/26・4度目の喪服
 盛大な社葬も無事に終了。街を漆黒に染める喪服集団からひとり外れ、すぐ近所に勤めるヒロターズに電話して一緒に食事。彼女に頼まれていたCoccoの最後のTV出演ビデオ(凄い良かった)を渡す。直接会うのは新年会ぶりだが、「旅行団」添乗員の仕事も終わったヒロターズは元気そうで何よりだ。帰りがけ、ビデオのお礼にキハチのマフィンをおみやげとしていただいた。これがうまいのだ。
 会社に戻って仕事をしていると8spotsから連絡が入る。何かと思えば、カニのことが気になって他のことが何も手につかず、図書館でカニの生態図鑑などを借りてきてからずっと監視体制が続いているとのこと。校長先生、過保護は体に良くないです、と伝える。手ごろな石が無いとのことなので帰りに道端で石ころをたくさん拾って帰る。
 帰宅するとカニは、きれいなガラスの鉢に入れられていた。8spotsは石を熱湯消毒した上でデコレーション。するとカニたちはやっと隠れるところができて、落ち着いてきた。数も昨日衰弱していた1匹が他界したものの、残り未だ13匹もいる、まさに“沢ガニの学校”、果たしてこれからどうなることやら。
 ところで最後にひとこと。新しい校舎・ガラスの鉢ですが、深さがいまいちで、時折カニが授業を抜け出して脱走します! 石をどう利用したのか、カニ同士で肩車したのかわからないけど夜中の部屋の廊下に、ぽつんとカニがたたずむ姿はちょっとシュール……じゃなくて逃げるなよ、おい!

4/25・カニと8spots
 それは、いつも通りのなんでもない、8spotsとふたりの買い物散歩だったはずだった。しかし鮮魚売場に来たとき我々は声を失った。
 アサリやハマグリなどが売られている冷蔵ケースの中で売られていた、沢ガニの姿を見つけたのだ。
 カニはコロッケをいれるときに使う、プラ製の簡易容器に詰め込まれていた。そして、そのカニは、まだ生きていた。丸一日冷蔵室に入れられていたのだろう、動きは緩慢であったが、狭い容器の中で必死に足をじたばたとさせている。そんな沢ガニが全部で6ケース並んでいたのだ。
 確かにすべての食物は、何かしら生物を殺めてできているということは頭では理解しているが、この沢ガニの売られ方はあんまりにも残酷だと思った。幾重にも積み重なったカニの下のほうは全く動きが無く、きっともう死んでいるのだろうとすぐにわかる。それは、例えるならアウシュビッツの光景のように見えた。思わず目をそむけたくなる。その上、容器に張られた「半額」のシールが、そのカニ達の、商品として、食料品としての存在を誇示しているようで痛々しい。
 食料品に情けをかける、自分のこの気持ちは偽善的なのだと気を取り直してその場を去ろうとすると、隣りで8spotsがカニを見つめたままフリーズしていた。腕を摑んで遠くまで引きずっていった。
 それから他の食料品を買い求めながら、いつもの通り店内を一周するが、8spotsはうわの空のまま何も語ろうとせず、思いつめた表情を決して崩さなかった。それでもそのまま私は商品をレジまで持っていき精算した。彼女もカゴを受け取ると買ったものを袋に詰めた。店内には閉店を告げるアナウンスが流れた。さぁ、家に帰ろう。
 ところがそんなとき、私がレシートにあるレジの打ち間違いに気付いた。慌ててレジへ返金を求めると、係の人が平身低頭で返金に応じる。その間に8spotsが私の目の前から姿を消した。彼女の行くところはわかっている。精算が終わってから私は先ほどの鮮魚売り場のカニのところへ向かった。案の定8spotsはそこでカニを見つめていた。
 私は「いいよ。好きにしなさい」と言うと、彼女はふり向いて私のことをにらむ様な目で見つめ、「私、間違ってる?」と尋ねた。いいや間違ってはいないよ。結局、6ケースのカニのうちのたった1つではあるが、157円で買い求めた。
 家に戻ると、カニのパックを食器の洗い桶に移した。すると2匹は既に死んでいたが、残りの10匹ほどがまだ生きていた。コカコーラボトラーズの「森の水だより」で水を張り、冷蔵庫に入っていたチリメンを与えると沢ガニたちはおいしそうにそれをほおばった。
 8spotsは、カニに「はいはーい。私が校長先生ですよー。きいてくださーい。君達は一度食料として死んだ身ですが、私が引き取りました。ですから皆さん、これから私に死ぬ気でついてきて下さーい」と号令をかけた。カニはそんな声もお構いなしで、桶の中をうろうろと歩いていた。

4/24・鎌倉の長い一日
 昼前に再び鎌倉の会場に到着、弔辞を持って告別式に臨む。祭壇も何もかも昨日のままだ。
 今日私が座る席は遺族の正面にある席だ。でもここは弔辞を読むための席ということなのでもう間違いは無い。ただ、もしかすると注意深い観察眼を持っている人がいて「昨日親族だった人が、今日は友人代表として弔辞を読んでいるぞ!」とか思うかもしれないが、そんなことは面と向かって言われない限り問題ないのだ。些細な問題なのだ。
 12時、いよいよ告別式が始まった。昨日と同じ破戒僧(失礼)が控え室からお供にさらに若い小坊主を連れてやってきた。祭壇の前に座り、挨拶の後、経を読む。昨日は途中で逃げ出してきたので、今日は日蓮宗のお経を興味深く聞く。
 いよいよ弔辞を読むときが来た。読むのは私が先なので、呼ばれると緊張した面持ちで祭壇の正面に向かう。昨晩プリントアウトしてきた弔辞を入れた封筒を胸のポケットから取り出す。そして、祭壇にある彼の写真に向かって語り始めた。
 読むのが早過ぎないようにと心がけていたものの、緊張のあまり早口となっているのが自分でもわかる。しかし、もはや焦ってスピードを止めることはできない。
 弔辞を読んでいる間、背後からすすり泣くような声が聞こえてきた。自分の書いた弔辞の内容が、皆の心に残るものであればと思っていたので、読みながら少しほっとする。弔辞だけに退場しても拍手は無いが(当たり前)、自分としては精一杯やれたのではないかと思う。
 私が着席すると、隣りにいた老人が立ち上がり、弔辞を読み始めた。これが、頭の中に生前の頃の彼の、生き生きとした笑顔が思い出されるような素晴らしい弔辞であった。私が最初に読ませてもらってよかったと思う(笑)。後に、この老人が芥川賞受賞者だったと知り、そりゃとてもかなわんと苦笑した。
 最後に喪主の挨拶があり、告別式は無事に終わった。
 今日は最初から後方で立っていた8spotsに、早速私の弔辞はどうだったかと尋ねてみた。すると「早口でしかも声が小さくて聞き取りづらい」という感想。一気に自信を無くす。その直後たけぴぃから「うんうん上出来!」と言われても、もうただ励まされているとしか思えない(笑)。
 それから、8spotsと一緒に棺桶の中に花を手向ける。これが本当に最後となる彼との対面だが、昨日と違って正面から会うことができた。
 会館を出て、エレベーターで運ばれてきた棺桶をたけぴぃら4人で運ぶ。霊柩車(キャデラック)までほんの数歩しかない距離だったが、この作業に立ち会えたことを感謝する。
 続いて、皆でマイクロバス2台に乗りこみ火葬場まで行くことに。着いた先は怪談好きな人には有名な心霊スポット・逗子のお化けトンネルの上だった。無事に火葬をすませ、8spotsと2人でお骨を箸で骨壷へと納める。こうして体が無くなると、これでやっと苦しみも解放されたような気がして安心するねと8spotsが言うが、私も同じ気持ちだ。
 長い一日はまだ終わらない。再びバスに揺られ、初七日を行うため駅前の中華料理屋へ到着。彼の骨壷が写真と共に祭壇に飾られている。そしてその前には例のお坊さんがいて経を唱えていた。初七日の経を終えたお坊さんは、去り際の挨拶で「お坊さん(自分のことを本当にそう呼んでいた)をやっていてひとつ困ることがあります。それは同じお坊さんでも若い者よりも80歳のお坊さんの方が、ご利益があってありがたいと思ってしまわれることです」という話をしていった。ヘンだけど面白い坊主だ。
 その後は会食モード。たけぴぃらいつものメンバーと、彼の死を電話で真っ先に知らせてくれた旧友の「詐欺師のあしあと」さんらとテーブルを囲む。途中、何人かの人に弔辞のことを感謝されるが、そのたびに「早口な上に声が小さくてごめんなさい」と恐縮し続ける。
 同席した幹事さんと話した時、棺桶に彼の母親の描かれた絵本がありましたね、という話をすると、その絵本というのが特別な本であったということを教えてもらう。なんでも、彼のお母さんが描いてきた数多くの作品でも唯一、息子の名を主人公に使った作品で、しかもその絵本のラストシーンは、主人公の男の子が、散っていく桜の花の中で眠ってしまうというものだそうだ。偶然の一致に大変驚く。そんな絵本が一緒なら本物の彼もきっと安らかに眠れることだろう。
 こうして無事に初七日も終了。たけぴぃらとお茶をして、2日間の労をねぎらいあう。
 お清めの塩を持ってくるのを忘れたのでスーパーで購入してから帰宅する。

4/23・実録 お通夜
 病院で風邪薬をもらってから出社するとすぐに昼休み。午後イチの来客を終えると早退する時間になっていた。
 自転車で家に飛んで帰り、8spotsと共に鎌倉の通夜会場となるホールを目指す。現地には既にたけぴぃ、ゆうちゃんらが到着しており、手伝いのため東奔西走している。
 たくさんの人で溢れる会場には美しい祭壇があった。そしてその中央には一昨日の夜に見た遺影が飾られている。ああ、ついに通夜なのか。でもこうして祭壇を眺めていても未だ彼の死を受け入れることができない。実感が無い。
手伝いをするには中途半端な時間に到着した我々は、直後に到着したSAKUと共に会場に入り通夜の開始を待つ。
 会場の最後列で立っていた人々に、幹事の人が、前方の席が空いているので座るように勧められる。年配の出席者も多く断るが、立っているのが我々だけになると断りきれず、一般参加者席の最前列へ座ることにした。左端に座ったSAKUに対し、8spotsと私は右端に着席する。ところが先ほどの幹事の女性は、私のところへやってくると、もっと前もっと前と合図するのだ。これより前というと、もはや喪主の座っている親族席になってしまう。でも幹事は、そこの席が空いているのでそこに座らせたいらしい。故人とは親しい間柄だったとはいえ友人がそんなところに座るのは何か場違いな気がしたが、8spotsを連れて喪主の後ろにあたる席へつく。
 ところが、開場時間が近づくにつれ、案の定、空席はどんどん埋まっていく。立ち見の人も出てきたようだ。こうなると私たちが、なぜこんなところに座っているのか、いよいよわからなくなってきた。じわじわと不安になり、どうしようというはらはらした気持ちになって、先ほどまで一緒にいたSAKUを見た。するとSAKUはにやにやとした顔で見つめ返した。当たり前だが、頼りにならないやつだ。しかも、よくみるとSAKUの隣りには、実家からやってきた私の母が座っているではないか。母が親族席に座っている今の私の状態に気付いたら何と思うだろうか! ……と思う間もなく「通夜を開始します」というアナウンスが流れ、ついに通夜が始まった。
 控え室から日蓮宗のお坊さんが現れる。昨日、喪主より由緒正しい大きなお寺のお坊さんがいらっしゃるのだときいていたが、私の前に立つお坊さんは見るからに若いので少し戸惑う。お坊さんをよく見ると無精髭を生やしている。自分の今の境遇を忘れ、今度はお坊さんのことが少し心配になる。そしてお坊さんはおもむろに語り始めた。その話によると彼の年齢は28ということだ。坊さんの実力を年齢ではかりたくは無いが、ありがたいお坊さんのお言葉にしては、言葉の端々で「〜しちゃいまして……」とか、もの凄いフランクな日本語をのたまうのだ。普段このお坊さんが、友達と夜の街を遊び歩いているような姿が私の頭に浮かんでくる。……破戒僧? などと不謹慎なことを考える。
 ともあれ経を読み始めると、独特の旋律とダミ声は確かにお坊さんのそれで、少し安心する。
 そこへアナウンス。「親族の方から、焼香をあげてください」。再び、先ほどまで私が何を悩んでいたか思い出した。すぐ、2列前に座っていた喪主が立ち上がった。そして、数人の故人の従兄弟と思われる方々の焼香が続く。このままだとすぐに私の番になる。でも親族じゃないよ? 私。
 今度は、横にいる8spotsのほうを向くと、彼女は焦った顔で見返してきた。目が、困惑と私へ、こんな目に合わせやがって! というような恨みを表している。目をそらして前を向くと、もう私の番になっていた。
 そうだ、我々が一般の人のトップバッターだと思えばいいではないか! 気持ちを切り替え立ち上がった。覚悟を決めた8spotsも続く。精一杯の焼香をして満足げに席に戻ると再びアナウンスが流れた。「それでは次に、親族以外のご来場者の方、焼香を行ってください。」……終わった。
 再び横を見ると、8spotsが下をうつむき顔を青ざめさせながら体を小刻みに震わせている。……もはやこれが潮時だと判断し、8spotsを連れて親族席を立ち、会場の最後部に逃げ出した。
 そこにはたけぴぃたちがいた。私は、まるで彼に用事があったからきたのだといわんばかりに彼のところへ駆け寄る。一方8spotsは、まるで海の底から水面に出てきたような顔で、会場の外にある階段の方へと走り去った。
 私がどこにいたのか見ていなかったらしいたけぴぃは、私に何も突っ込むことも無く、駅前で立っているゆうちゃんと案内人役を変わって欲しいと言って来た。私は渡りに舟とすぐに駅へと向かった。
 途中、会社を早退して駆けつけたしんしんとすれ違いつつ、歩いて5分ほどのところにある駅へ。そこにはゆうちゃんがひとり立っていた。そして通夜が終わる5分前までの20分ほど、そこで看板を持って立つことになった。
 通夜はもう始まって30分以上経過しているので、よっぽどのことでもない限りこの時間に来る人もいない。結局20分間、誰からも声を掛けられることも無く過ごす。時間的に最後となる電車の乗客が改札からいなくなり、さて戻るか、と思ったそのとき、誰もいなくなった改札の向こうから、T谷がやってきた。
 何でも駅のコンビニで香典袋を買っていたという彼は、仕事の忙しい中を来てくれたのはよいのだが、何とものんきで拍子抜けする。
 彼は歩きながら、香典袋にお金を入れている。だが、袋の閉じ方もよくしらないので、私が横から指図する。さらには、宛名も外で歩きながら書こうとするから文字も雑この上なし。しかしこれでも彼はいまや人の命を預かる外科医。世の中どうなっているのだと思う。
 会場に着くと通夜がちょうど終了したところだった。落ち着いた雰囲気になったところで、会場の係の人から、故人の顔を拝めるのでどうぞ、と言われる。たけぴぃの「見ておけ。そうしないと後で絶対後悔するから。後悔しても取り戻せないから」との言葉で、皆、祭壇にある棺桶のところへ向かう。
   私は8spotsと共に棺桶の前へと来た。恐る恐る棺桶の窓を開くと、そこには、彼の顔がガラス越しに見えた。先日家で会ったときと違い、祭壇の位置の関係で頭の方から顔を反対にしてしかみることができないのがもどかしいが、確かに彼の顔だ。
 8spotsが、顔をじっと見つめながら、彼にぽつぽつと話し掛け、そして最後には涙を流しはじめた。私は彼女を支えながら、ふと彼の頭の脇に昔からよく被っていた帽子が添えられているのを見つけた。
 もうだめだ。
 泣き崩れる8spotsをかかえていた私だったが、その瞬間、彼の訃報を耳にしてから一度もこぼれなかった涙が滝のように流れ始めた。
 8spotsにつられたからなのか、それとも、帽子という具体的なアイテムを見つけたことで、この目の前の亡骸が彼であるということを認識できてしまったからなのか。とにかく涙がとめどなく流れていく。
 8spotsは「こんな角度で見たってわかんないよ!」と叫びながら、おいおいと泣く。私も泣いた。
 8spotsはもう一度彼の顔がみたい、といった。人の少なくなったときを見計らって、もう一度彼の顔を拝んだ。やはり彼の顔は逆さまからしか見えないので長い間みつめていても違和感が残る。祭壇を離れると、また2人でさらにひとしきり泣いた。
 一体どのくらい泣き続けただろうか、ほとんどの来場者はすでに会場を去っていた。涙も落ち着いたところで、たけぴぃら我々メンバーも会場を出ようとする。そこへ係の人から呼び止められ、「お清め」をしていってくれと言われる。「お清め」というのは、つまり食事をしていけば良いらしい。メンバー10人で机を囲み、ビールと上等な握り寿司で「お清め」を行う。
 祭壇から部屋一つ離れ、いつもの顔ぶれだけになったことで、再び和やかな空気となる。故人のことにも触れながらも近況報告を交え、笑顔を取り戻す団欒となる。もはや、いつものメンバーがひとりいないだけで、今までと何も変わらないではないか、そんな安心した空気すら流れる。だが実のところ、皆、彼の死を受け入れられず、心の中の戸惑いを隠しているだけなのかもしれない。その証拠に「お清め」を済ませ、最後に再び祭壇に今日のお別れをしにいくと、再び皆の目が潤み、声が止まった。
 会場を出てから、皆で駅前の居酒屋に入り酒を飲み直す。やはりいつもより一人足りないことだけがいつもとの違いなのだが、その違和感をいつまでも感じる。まだ私は彼の死を受け入れることができない。
 居酒屋を出て家に帰ると0時になっていた。8spotsが、私が昼間会社に行っている間にチェックした弔辞の再修正案を見てから第3稿を書き上げ、風呂に浸かってから寝る。

4/22・弔辞執筆
 目覚まし時計が運悪く今日電池切れになって、昼起床。昼食をとってから東京の家に戻る。
 昨日とは打って変わって快晴。実家付近でバスを待っていると、目の前の道をオープンカーのMR2が、赤、青、緑……と次々に8台くらい続いて通り過ぎる。これを見て『サーキットの狼』に登場したロータスヨーロッパの集団を思い出す車音痴な私。
 自宅についてから夕刻再び外出し、川崎で喪服のためのネクタイ、ハンカチ、靴下などを取り揃える。
 帰宅後夕食をとり、いよいよ弔辞の執筆にとりかかる。しんしんの結婚のときに祝辞を書いたときは原稿用紙で苦労したが、今はPCがあるので非常に書きやすい。書く内容には祝辞も弔辞もそれほどの違いがないことに途中で気がつく。
 弔辞作成は、昨晩プロットはできていたのでスムーズ。書いていて泣けてきたらどうしようと思ったが、流石に自分で書いた文章は構成がわかっているので泣かずにすむ(笑)。
 テレホ時間あたりに第1稿ができたので、早速8spotsに頼んで添削。概ねOKだったものの、新たに8spotsからあったいくつかの提案をうけ第2稿にとりかかる。8spotsが用意してくれた内容メモを少し読んだら、それは人の書いた文章なので、突然急に涙がこぼれそうになり自分でも苦笑。
 若干の修正を施し第2稿が完成、8spots、たけぴぃ、ゆうちゃんにチェックしてもらい、無事OKをもらう。さらにMSNを使ってたけぴぃ&8spotsと明日の打ち合わせ。一部自宅内チャットであった(笑)。
気がつくと深夜になっていたので、風呂に入って寝る。

4/21・遺影
 昼頃起きたら、家の電話とPHSに留守電がいっぱい。処理してから雨の中、徒歩で会社に向かう。
 午前中までにすべて提出されてきているはずの相手からのFAXは、結局最終頁が届くまで午後6時過ぎとなり、拘束時間だけが無駄に長い休日出勤を過ごす。そのため会社の電話を前線基地に、通夜・告別式の日程や時間などの連絡をしなくてはいけないのは、「安心だフォン」の私にとってまったく仕方の無いことだ。
とりあえず通夜が月曜・夕方、告別式は火曜の昼になった。これから私は実家に戻り彼の妹さんに依頼された、彼の遺影の写真を探すという任務を果たさなくてはならない。相手先の出版社への汚い罵りと呪いの言葉を何度も吐き続けながら、すっかり夜になった外へと出る。
 実家近くの駅に降り立つと、タイミング良くゆうちゃんから電話。わざわざ駅まで車で迎えにきてくれたのだ。実家についたときは既に午後10時。すぐにたけぴぃも到着する。これから、彼と親しかった3人で顔をつき合わせ、告別式に読み上げる弔辞を作成することにしたのだ。そして、できた弔辞は私が読むことになった。
 その前に、遺影の候補写真を選んで、彼の実家に持って行く。そして、昨年末以来となったが、彼に再会することができた。彼は、本当に安らかに眠っていた。
 彼の家族と暫く話をしてから、再び家に戻る。そして、うちの母を加えた4人で、彼との最初の出会いから今日までの思い出を、思いつくままに振り返る。皆の記憶の断片、集会を開くごとに撮り貯めた写真アルバムと、私の日記帳を合わせ、彼との小学生以来の付き合いをさまざまに語る。
 母が寝た後も、3人で付随する思い出も含め、長く長く話し合った。
 気が付くと外はすっかり明るくなっている。弔辞のプロットも完成し、月曜のこともあるのでひとまず解散する。
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